~2023.3.11 春の唄~

思うに、四季の移り変わりの中でも「春の訪れ」というのが、一番印象深い気がする。

桜が咲いたり、卒業式・入学式があったりしてドラマチックな時期ということもあるし、フィジカルイヤー(会計年度、事業年度の事。国などの公共機関は4月1日がスタート日である。)の意味でも、また四季の呼び方「春夏秋冬」を見ても、「春」がスタートの季節というのには異論はあるまい。

今井美樹のアルバムに「retour」(1990年発売)という名盤がある。このアルバムを発売した時のインタビューでタイトルの「retour」についてその命名の経緯を彼女自身が話している。「retour(ル・トゥール)は仏語で再生するという意味です。当時『思い出に変わるまで』(松下由樹演じる実の妹に石田純一演じる婚約者を奪われるというドロドロの愛憎劇)というTVドラマの収録が終わったばかりで、ドラマの沢村るり子に心身ともにはまり込んでいた私は、婚約者を実の妹に奪われるというドラマ上の悲惨な経験に、実の自分(今井美樹本人)も大きなダメージを受けて、しばらくは立ち上がれない日々が続きました。そのブルーな日々の中での新アルバムのネーミング決定をしなくてはならず、一度全てを失った自分がまた新たに再生していくという意味で「retour」にしたわけです。」

フランス語で「春が来る」をフランス語で言うと「Retour du printemps」と言います。季節の到来の表現に「retour」を使うのは、春だけ。

やはりフランスでも、「冬で一度死んだ世界が春に再生していく」という季節感なんだろうと思う。

閑話休題

バブルの頃までが、資生堂やカネボウを筆頭にTVでの化粧品のCMが全盛期だったと思う。最も化粧品がTVCMで売れていた頃(例えば世良公則の「燃えろいい女」で売り出した「ナツコ」シリーズのコンパクトは史上最高売上らしい)だから、キャンペーン自体も結構派手だった記憶がある。

特に春のキャンペーンは派手で、タイアップのCMソングにも名曲が目白押しだ。ざっと思い出すだけでも、

  • 不思議なピーチパイ/竹内まりや
  • う、ふ、ふ、ふ/EPO
  • 不思議なピーチパイ/竹内まりや
  • 春先小紅/矢野顕子
  • 君は薔薇より美しい/布施明
  • 春の予感/南沙織
  • Rockn louge/松田聖子

ざっとあげただけでも、こんな感じ。いずれも劣らぬ昭和の名曲と言えよう。その中でも僕が今でも愛して止まない一曲がある。

それは尾崎亜美が歌う「マイ・ピュア・レディ」。ちょっとだけハスキーな声で始まる「ちょっと走り過ぎたかしら、風が吹いていったわ。やっぱり頭の上はブルースカイ。」という当時では珍しいボサノヴァテイストの印象的なイントロ。まだデビュー3曲目という新進気鋭というにはあまりにも無名のアーティストがいきなり抜擢されたのは、1977年春の資生堂のキャンペーンソングという当時では恐らくNo. 1の花形のタイアップだった。

CMモデルは、当時24歳の細身の代表選手小林麻美だった。サーフィンをしている彼氏を双眼鏡で見ながら浜辺で待つ、オレンジ色のパーカーを着た彼女のルックスがあまりにも鮮烈で当時非常に話題になったCMで、小林麻美はこのCMで一気にトップモデルへと駆け上がる事になる。そしてこのCMのラストシーンは、パーカーのフードを被った小林麻美がマグカップのコーヒーを吹いている場面に「マイ・ピュア・レディ」の文字がかかり、尾崎亜美のCMソングの有名なフレーズ「たった今、恋をしそう。」が被っていく。尾崎亜美もまた、この曲によってあシンガーソングライターとして、またソングライター(1978年の春の資生堂のキャンペーンソングは、尾崎亜美が作詞作曲した「春の予感 -I’ve been mellow-」を南沙織が歌ったものだ)としても一気にトップスターダムへと上り詰めることになる。

明るい時代のライトな空気感が漂うボサノヴァタッチの軽妙なメロディ。弾むような春の出会いの予感を表現した印象的なリリックス。

2月の終わりから3月の頭の、暖かな日には真っ先に思い出す曲だ。

令和5年3月1日は、最高気温19℃最低気温11℃と前日から引き続き春本番の気候となった。春のジャケットにスプリングコートを羽織る、自分としての春の立ち上がりの日になった。

そしてすぐに桜の季節を通り過ぎ、季節の針はまた次を指して進んでいく。。。

「マイ・ピュア・レディ」

歌:尾崎亜美

作詞:尾崎亜美

作曲:尾崎亜美

尾崎亜美「マイ・ピュア・レディ」の歌詞 

~2022.10.05 冬の唄~

「季節の針」が進む。それ自体はこの世界において(例え極北に居ようと季節はあるのだ)当たり前の事なのだが、それをどう捉えるか、どう感じるか、で人生はずいぶんと見え方が違ってくるように思う。

元々単細胞でお祭り好きで天性のオプティミスト(楽観主義者)な私は、季節の針が進んでいくのが嬉しくて仕方ない。春が近くなれば、どこかに春の香りや兆しを探したりするし、桜の開花情報を毎日ウェザーニュースでチェックしたりする。夏に向けては、早く暑くならないかとワクワクしたりもするし、もうずいぶんと夏のリゾートやバカンスには縁遠いくせに夏に行きたい、過ごしてみたいリゾート情報(最近は沖縄のビーチやモルディヴの高級リゾートホテルとかの動画がお気に入り)をYouTubeで見たりするのが楽しみになっている。若い頃なら「夏の恋」の一つや二つはあったものだし、長い夏休みを控えてワクワクするのも仕方ないと思うが、そういった事には全く無縁の還暦を何年も過ぎた初老の男がワクワクしているのもおかしなものだが、若い頃の記憶とか刷り込みがあるのか夏に向かう季節は今でも嫌いじゃない。

秋になれば、これがまた秋の香りや兆しを探し回る(春と同じ。全く成長してない)のだ。虫の音や涼しくなっていく朝晩の風に秋を無理やり感じようとする。台風一過で一気に秋めいた日の夜に、夏掛けだけでは寒く感じて、薄い羽毛布団を引っ張り出してくるのが嬉しくて仕方ない。春から夏にかけては暖かくそして暑くなっていくのが嬉しいのは、別に「暑い」のが好きなわけでは無い、いやむしろ「暑い」のは辛い。そして同じように「寒い」のも辛い。ただ季節が進んでいくのが嬉しいだけなのだ。

「それって、棺桶に一歩ずつ近づいているってことなんだぞ!」って皮肉を言われても、どうもそういう風にシニカルなとらえ方、大人な考え方、先を見据えた考え方が昔から苦手で刹那的な「今を楽しむ」生き方しかできないのだから仕方ない。

10月も下旬になっていくと今度は冬の匂いを探し始める。寒くなっていく、布団の枚数が増えていくのが嬉しいし、コートを着る日が待ち遠しくなる。そうすると、妙に「冬の唄」が聴きたくなる。それもクリスマスソングではなく、冬という季節の訪れを如実に感じさせてくれる曲が好きだ。それは槇原敬之の「冬がはじまるよ」とか「北風」だったり、Kiroroの「冬のうた」だったりBUMP OF CHICKENの「スノースマイル」だったりスキマスイッチの「冬の口笛」だったりback numberの「ヒロイン」だったりする。(まだまだあるけど、いい加減にしておきます)それぞれ、ワクワク楽しい気分だったり、逆に哀しい思いだったりする曲(割と楽しい曲が多い)なのだが、さりげなく「冬の訪れ」を感じさせるフレーズがこの時期に聴くと染みるポイントになっていたりするのだ。例えばBUMP OF CHICKENの「スノースマイル」なら「冬が寒くって 本当に良かった 君の冷えた左手を

僕の右ポケットに お招きする為のこの上ない程の 理由になるから」という部分。スキマスイッチの「冬の口笛」なら「吐く息が白く光るとケムリみたいってハシャいだ」とか、back numberの「ヒロイン」なら「雪が綺麗と笑うのは君がいい でも寒いねって嬉しそうなのも 転びそうになって掴んだ手のその先で ありがとうって楽しそうなのもそれも君がいい」などが、冬に向かっていく季節には染みるフレーズなのだ。

でも、そのたくさんある「冬の唄」の中でも一つを挙げろと言われれば、絶対にこれだという曲が僕にしては珍しくあるのだ。それは中島美嘉の「雪の華」だ。

「のびた人陰(かげ)を舗道にならべ」という出だしも良い。出だしのこの1フレーズで「冬の唄」だということをはっきり伝えてくれる。そして白眉は「風が冷たくなって 冬の匂いがした そろそろこの街に 君と近付ける季節がくる」という部分。夏に向かってもワクワクするし冬に向かってもワクワクするとは言ったが、やはり夏へのワクワクと冬へのワクワクは質が違う。冬は寒くなって、炬燵に入ったり部屋を暖めたりしてインドアになっていくワクワクなのだ。そんな気持ちを「君と近付ける季節がくる」という歌詞で、あっさりと説明してくれた素敵な曲だと思うのだ。どこか切なくてどこか人恋しくなる季節。

そして季節の針はまた次を指して進んでいく。。。

「雪の華」

歌:中島美嘉

作詞:Satomi

作曲:松本良喜

中島美嘉「雪の華」の歌詞 

~2022.08.22 夏陰~

今年初めてまともに甲子園の試合を見たのは、8月18日の木曜日。前日までの異常なほどの暑さが一転、湿度が下がった秋を予感させる涼しい一日となった日、クリニックの待合室のTVで流れていた大阪桐蔭対下関国際の試合だった。あーまたどうせ一方的に大阪桐蔭が勝つんだろうなあ、と思っていたその試合は、あにはからんや下関国際が懸命に食らいつき接戦となった。

そしてあろうことか終盤に勝ち越し点を奪って勝ってしまったのである。

現在に至る僕の高校野球フリークぶりは、小学生3年生の夏に突然始まった。9歳の夏である。元々野球好きの父がいる我が家では、夜はプロ野球の中継を見ながら夕食がデフォルトだったし、8月ともなれば昼は高校野球の中継をずっと観ていた気がする。

その夏の決勝戦はあの伝説の「三沢松山」だった。

それまで高校野球の中継などには殆ど興味がなかった9歳の僕が、家族全員がTVの前から動けなくなる程の熱戦、そして恐らくは松山商業関係者や愛媛県民を除く全国の視聴者(ちょっと大げさか)が送っていたであろう青森県立三沢高校、そして元祖甲子園のアイドルと言われた太田幸司投手への声援の熱量にいつしか引き込まれ、いつのまにか三沢高校をそして太田幸司投手を応援していたのだ。当時は、まだ現在で言うところのいわゆる「野球学校」と称される私立の高校が台頭してくる前であったので、公立のそれも商業高校とか工業高校(広島商業とか熊本工業とか)とかに強豪校とか甲子園の常連校が多かった時代。特にその中でも松山商業は別名「夏将軍」と呼ばれ、夏の甲子園に特に強い(この69年の優勝を含めて通算5回もの優勝を誇っている)高校として堂々の存在であった。対して三沢高校は、当時野球が決して強いとは思われていない青森県代表(正確には「北奥羽代表」だった。当時はまだ1県1代表ではなく、青森を勝ち抜いた後、岩手県代表に勝たなければ甲子園には行けなかった。)の公立の普通校。たまたま出現した超高校級の投手太田幸司(ロシア人の母を持つハーフで、端正な顔立ちから元祖「甲子園のアイドル」と言われていた)を擁した為に、前年の夏、同年春と3季連続出場してはいたがまさか決勝まで勝ち進むチームである思われてはおらず、全くのダークホースであったと言えよう。

もちろん当時でも、青森県はおろか東北地方に優勝旗が渡った事はなく、決勝に進んだこと自体も1915年(大正4年)の第1回大会の秋田中(決勝で京都二中に延長13回、1-2でサヨナラ負け)以来54年ぶりの事だった。

2011年の第93回大会の光星学院から昨年までの10回中(2020年は新型コロナウィルスの為大会自体が中止)4回も決勝に進んでいる昨今の躍進ぶりとは違って、当時は東北や北海道そして裏日本の代表というだけで「弱い」と決めつけられていた時代。今のように屋内練習場も完備していなかったので、こうした地域の学校の野球部は雪のあるシーズンは練習ができなったので「雪国のハンデ」と言われていたのである。

そんな地域から出場してきた無名の公立の普通校が、今で言えば大阪桐蔭ばりのバリバリの本命の強豪相手の決勝戦で好勝負を展開している。それだけで判官贔屓の天秤ばかりは一気に三沢高校の応援に傾いてしまうものだ。

0-0のまま延長になり、(ちょっと詳細はさすがに覚えてはいないが)裏の攻撃の三沢高校は何度かサヨナラのチャンスを迎えた。スクイズがホームでアウトになったり、フルベースでカウントが0-3になって松山のエースの井上君が投げた4球目が際どかったり、と勝利の女神は何度か三沢高校そして東北地方に微笑みかけたのだ。

結局、三沢高校は幾度かあったサヨナラのチャンスをものにできず、延長18回で両軍無得点のままdr引き分け。規定通りに再試合となった次の日の試合を2-4で落としてしまい、準優勝で終わってしまう。現在よりもさらにハードスケジュールだった当時は、投手の連投など当たり前だったしエースが一人で投げ切る事が美談のように語られてもいたほど。当然田舎の公立高校に偶然にスーパーエースが出現した事でそこまで辿り着いた三沢高校に力のある控え投手がいるはずもなく、前日延長18回262球を投げ切った太田幸司が連投。対する野球強豪校の松山商業は控えにも良い投手(中村投手)がいて継投で逃げ切り、最後はチーム力の差が出たかっこうになった。

初めて高校野球で応援したチームは残念ながらその試合では負けてしまったけれど、球児達の熱い戦いに魅せられた僕はそれ以来、毎年春の選抜と夏の選手権を欠かさず見続けてきて、かなりのレベルの高校野球フリークとなったのだ。正直どのスポーツにも詳しいし、語れるだけの知識は持ち合わせている僕ではあるけれど、サッカー(特にワールドカップ)や競馬(馬券には一切興味なく、ブラッドスポーツとして観るだけです)と並んで高校野球に関しては「マニアックである」と断言できるほどの知識がある。

それは、この時期になれば甲子園はもちろんの事、甲子園の終盤戦の裏側でこっそり始まっている、秋の地区大会→県大会→関東大会などの地方大会→神宮大会という来年の選抜の出場を占う流れをもしっかりチェックしていて、関東大会はたまに実際に観戦に行っていたほどのマニアックぶりなのだ。

そんな僕がここ数年、高校野球をしっかりは観ていない

それは近年の高校野球が、大阪桐蔭を頂点とする野球強豪校しか勝てない場になってしまったと実感したからである。実際に2011年の日大三高の優勝以降2018年の大阪桐蔭までの8年間は関東の私立の野球強豪校か大阪桐蔭しか優勝していない。(うち大阪桐蔭が3回だ)

三沢高校のような学校が出現したのは、2007年の佐賀北まで遡らなければならないし、もうそんな奇跡は起こらないのかもしれない。

大阪桐蔭が負けたことがニュースになるぐらいに一つの高校がとびぬけて毎年強い、以前のPL学園をも凌駕する今の状況に、以前まで夏の高校野球が開幕(僕の場合の開幕とは、地方予選が最初に始まる沖縄とか北海道の開幕を意味する)するのを待ちわびていたワクワク感が削がれていっているのは確かだ。

だから今年は8月18日、少しだけ秋めいた木曜日に初めてまともに第104回の夏の甲子園を観たのだ。クリニックの待合室で。

大本命だった春の覇者大阪桐蔭を破った下関国際は準決勝でも春の準優勝校の近江高校にも勝って決勝に進み、そこでは仙台育英敗れた。

あの三沢松山から53年の時が流れた今年、ついに深紅の大優勝旗が白河の関を越えて宮城県仙台に、東北に渡った。東北を飛び越えて北海道に先に優勝旗が渡った2004年からも18年遅れではあるが。三沢高校の準優勝以降実に7回も決勝で敗れてきた東北の高校がついに栄冠を掴んだ。実に5人もの力のある投手を起用しての優勝は、たった一人のエースで決勝再試合に敗れた三沢高校と対比すると感慨深い。

閑話休題

それは、早ければ花火大会の夜の帰り道だったりする。普通は何でもない日常の朝だったりする事が多い。

「初めて秋を感じた瞬間」の事だ。

いつもの洗顔の水が少し冷たく感じたり、いつもの温度の冷房が効き過ぎて軽くくしゃみをしたり、半袖のパジャマで少し涼しくて長袖に着替えたり。何気ない日常の何気ない瞬間にそれは転がっている。

それが歌だったりもする。さっきまで話題の中心だった高校野球。高校野球フリークの僕は昼間に試合を観れた日も観れなかった日も、必ず夜にはTV朝日の「熱闘甲子園」を観るのが日課だった。まだ地方予選の事は毎晩「甲子園への道」を観て、出場校のプロセスやそのストーリーを共有して、本大会を迎えるという念の入れよう(笑)

そして長嶋茂雄の娘、長嶋美奈が長くMCを務めていた事でも有名な「熱闘甲子園」は、そのオープニングテーマ曲やエンディングテーマ曲が話題を集める事も多い。

古くはTUBEやエレファントカシマシ、渡辺美里、ウルフルズ、藤井フミヤ、スキマスイッチなど、最近ではFUNKY MONKEY BABYSやGReeeeN、コブクロ、関ジャニ、嵐など錚々たるアーティスト(歌手?)がそれを担当してきた。

その中で僕が特に印象に残っている曲がある。2005年のエンディングテーマ、スガシカオの「夏陰」だ。

大会が進んでいき、残る学校が少なくなっていくと、クライマックスの盛り上がりと共に寂寞の想いも込み上げてくるものだ。

そして、決勝が終わり人気の無くなったスタジアムに夕陽が落ちる。バックネットを吹き抜けていく涼しい風は秋の匂いがしている。という心象風景を見事に表現した名曲。

この時期になるとピンポイントで聴きたくなる曲だ。

2022年僕の秋服最初の日は、8月22日。仙台育英高校が長い雌伏の時を超えて深紅の大優勝旗を白河の関の先へと初めて運んだ夕方。

秋めいた風が吹く夕暮れ。万感の想いと共に、「夏陰」を口ずさみながら、今年購入したグレージュのジャケットに袖を通してみた。

「夏陰」 作詞スガシカオ 作曲スガシカオ

スガシカオ「夏陰~なつかげ~」の歌詞 / 歌詞検索サービス「歌ネット」

~2021.10.31 借景の宿~

十月の絵の具が燃え上がる森へ 素肌にセーターがちくちく痛いの。(葡萄姫 By松田聖子)

「借景」という言葉自体は知ってはいたが、本当にその存在というか価値というか効果を知ったのは、秋の奥湯河原でだった。上の娘がまだ生まれたばかりだったから、バブル崩壊直後の秋、10月の下旬か11月の頭ごろだったように思う。東京の僕の実家の不動産会社を継いだ兄が、お客様を接待する常宿として使っていたという、その品の良い旅館に来たのは、父が入院し気が塞いでいた東京の母を励まそうと、私と妻と生まれたばかりの長女を連れて一泊の小旅行に連れ出したからだった。

伽羅が焚き染められた旅館の玄関、通された客室の佇まいを見て、奥湯河原海石榴は今までの人生で一番高価な旅館であることは容易に想像がついた。しかしこの宿の本領は、そこでも夜に出てくる懐石料理でもなかったことを、僕らは知ることになる。大浴場に向かう途中の窓の1枚1枚が、滝のように流れ落ちる紅葉でまるで絵のようになっていてその度に足が止まる。着いた迎賓館のラウンジから見渡せる箱根外輪山の紅葉のパノラマは、部屋に足を踏み入れた瞬間に息をのむ程の美しさだった。この海石榴を設計した建築デザイナーはプランニングの前に、幾度となくこの地にこの季節に来て立って見渡して、どの角度から「借景」をすればすべての窓がそれぞれ1枚の絵のように見えるかを綿密に計算したに違いない。でなければ、こんな完ぺきな「借景」が完成できるはずはない。これは「借景」を完ぺきにする事を優先に設計された「借景旅館」だったのだ。僕は建築にも旅館の経営の事にもことさらそのROI(=投下資本回収率)などに関しては、まったくの門外漢であり詳しくはない。でも、これだけの「借景」を実現するにあたり、色々な事を犠牲にしたであろう事は容易に想像がつく。すべてがデジタル化された現代において、非効率であっても物の本質を貫き通すその姿勢に、我々が扱う「世界から集めた逸品たち」にも通じる「文化レベル」を感じた秋だった。いつかは春に桜の季節に訪れてみたいと思っている。


奥湯河原 海石榴

~2021.08.31 夏服最後の日~

この仕事(アパレル)に就いた37年前から、僕の9月に「夏服」という選択肢が消えた。例えばその年の8月末が極端に涼しければ、例外的にそれは8月の27日とか28日になる事はあるけれど、大概の場合はその日は8月31日という事になる。そう。僕の「夏服最後の日」。

これもまた大概の場合、その8月31日が無慈悲に暑く、明日の9月1日に迎える「秋服最初の日」がとてもとても憂鬱でこの時期だけはアパレルに身を投じたことを恨んだりしてみる。「武士は食わねど高楊枝」と嘯いて、秋物に身を包むが正直暑い。しかも一時的に涼しい日が来ても、暑さのぶり返しは必ず来る。もう春夏の服はクリーニングに出し、クロゼットの大幅入れ替えは進行しているので、一度秋を立ち上がらせたら2度と戻れない。悲愴な決意なのである。

令和3年8月31日。今年の僕の「夏服最後の日」は、日中は31度まで上がってやっぱり明日からを悲観させる気候だったけど、それでも朝晩の風は涼しく、9月1日からの秋気温予想を裏付ける、ちょっと嬉しい日になった。

で、唐突に質問などしてみる。みなさん、8月と9月を明確に分けるもの?って何だと思いますか?で、唐突な質問をしながらも、明確な答えを持っているわけではない。まあこれは非常に私的な書きなぐり文章なので、仕方ない。エッセイ(随筆)なんてレベルでもない。そこらのBlogにも劣る、非常に自堕落な駄文であるからして許して頂きたい。

今年は、先ほども触れたように幸いにも9月1日から一気に秋気温になったので、僕の「秋服最初の日」は、悲惨な汗まみれにはならなくて済んだのだが、例年なら殆どの場合こうはいかない。8月の下旬から9月の(下手したら)10日ぐらいまでは同じような気温が続いているはずなのだ。まあ確かに、徐々に日が落ちるのが早くはなるし、虫の音も聞こえ始める。でもそれが8月31日と9月1日を明確に分けるファクターに成り得るか?と言われれば、答えはNOとしか言いようがない。

僕なりに思うところ(私見なんて立派なものじゃありません。個人的な偏見です。)を述べれば、小学校から高校までは、9月1日から学校が再開するというのが8月と9月の大きな違いなんじゃないかな~?と。北海道とか沖縄のカレンダーはどうなっているかはちょっと定かではないけれど、殆どの日本人の原体験から言えば、9月1日は「学校が始まる日」という意識が植え付けられているのではないかと思う。大学生になれば、9月の20日あたりまで(うちの大学はそうでしたね。人がいないリゾート地の寂しさはよく知っていますよ。値段は一気に安くなるので、9月に旅行はいっぱいしましたけど。)大学によっては9月いっぱい夏休みだったりするし、社会人になればそれがお盆明けにあたるのかもしれない。でも「夏の終わり」(=恋の終わり?)をテーマにした歌(けっこう数多い)では、9月イコール「夏の恋が終わる月」とか「リゾート地から街に帰る月」みたいな表現が多いのは、やはり前述した「殆どの日本人の原体験から言えば、9月1日は『学校が始まる日』という意識」が少しは関係しているのかな?とも思ったりもする。

その「夏の終わり」(=恋の終わり?)をテーマにした歌、というのは僕的には結構好きなジャンルで(昔、違法に配ったオリジナル編集のCDでは良くこのテーマで作りました)、切なさ溢れる良曲が多いと思っ。

例えば(マイナーな曲ばかりで本当に申し訳なく思いますが、その印象的な歌詞の一部分も書き出しておきます)、稲垣潤一の「想い出のビーチクラブ」(夜通し騒いだ避暑地の夢が醒めれば哀しい大人になってた。夏のボートで君が僕を呼ぶ)とかチェッカーズの「Cherie」(出会いが眩しすぎて恋人はいないと嘘をついた)、杏里の「DJ.I Love You」(あぁ夏の恋がカレンダー塗りかえてゆくよ、いつもせつなさで。街へ走るラジオで私を思い出して)、松田聖子の「マイアミ午前5時」(マイアミの午前5時。街に帰る私をやさしく引き止めたら、鞄を投げ出すのに)、EPOの「身代りのバディー」(九月なかばの 渚のうねりに私も心まかれて 沈んだ)など、いずれも夏の恋が終わる(遊びの時間が終わり、街へ帰る=現実に戻る的な)儚さ、寂しさをそれぞれの表現で感じさせてくれる名曲だと、僕は勝手に思っている。もしかしたら、9月に彼女がいた事が無かった若かった頃の自分の孤独感とか、誰もいなくなったリゾート地とか、今はもうどこにいるのかも分からないずっと好きだった彼女の事とかを抱えたまま歳だけ重ねてしまった自分へのレクイエムを求めているだけなのかもしれない。

今年の9月1日。つまり僕の「秋服最初の日」には秋物の綿ビロード?(=別珍って今は使わないか。。。)もしくはベロア?の紺のジャケットを着ながら歩いた歯医者までの道。予想以上に涼しくなった天候の変化に感謝しつつ、そんな事を考えていた。

貴女の「秋服最初の日」はいつですか?

「夏服 最後の日」

歌:杉山清貴

作詞:松井五郎

作曲:杉山清貴